聖書とユダヤ人

聖書の根本的な教え、復活と永遠の命についての解説

「神が生きているなら、いずれ死ぬ」に対する反論

仏教徒であるアルボムッレ・スマナサーラ氏が以下のように語っているそうです。

ところで実は聖書では、神もちゃんと因果法則に従っているのです。
 神は天地を創造したりするでしょう?あらゆる法則には、必ず結果がついてきますから、「天地を創造する前の神」と「天地を創造したあとの神」とでは違う神にならざるを得ないのです。
 皆さん自身のことを考えて下さい。一歩歩いたら、景色が変わるでしょう。その時の自分は、もう違う自分でしょう?
 あるいはまた、聖書の神は自分を褒め称える者を天国に引き上げるのです。「自分を褒め称える」という原因で、結果として「天国に引き上げる」のです。「自分を侮辱する」なら「地獄に突き落とす」のです。
 ですからやはり、聖書の神も因果の世界で語られているのです。
 そもそも聖書自体が「ああして、こうして、こうなりました」というお話でしょう? 因果語りですよ。それでどんどん話が変わっているではないですか。だったら「生きているなら、いずれ死ぬ」でしょう? 神だって死ぬのが論理的です。
当たり前といえば当たり前です。何かをしたら、その結果が生じるというだけの話。「ずっとあって何もしません」では、それこそお話になりませんからね。
 にもかかわらず「神は永遠不滅」などというのですから、やっぱり聖書はお話になりません。無知もいいところです。
ひどい妄想です。文学作品としても説得力がないのではないでしょうか。
 「生きているからには、必ず死ぬ」のです。現実に生きている我々は、ここから一歩も動くべきではありません。
想像をたくましくするのは自由にできるのですが、害ばかりです。聖書を本気で読んでたりなんかすると、人生を失敗します。
事実、それで世界中ひどいことになっているのですから、実証済みです。殺して、殺して、それこそ聖書の世界を再現しているのです。ろくなことはありません。妄想だとわかっている分、マンガ本の方が、よほど害が少ないのです。
アルボムッレ・スマナサーラ著『無常の見方―「聖なる真理」と「私の幸福」』より)

 

★ダニエルによる論評
この方は有名な方のようですが、あまり聖書を読んでおられないようです。
この方のご意見によると「生きているものが死ぬのは当然のこと」です。
もちろん、一般的、常識的にはそういう感覚が普通かもしれませんが、
命というものは、そもそも死なないものです。
わざわざ「永遠の命」と聖書が言っているのは、命が有限だと思われているから
わかりやすく言っているだけのことです。

「死ぬ命」と「永遠の命」という二種類の命があるのではないです。

人が復活して永遠に生きる肉体になることが起こるときには
地球も永遠に生きる物質体になっています。
つまり、地球まるごと復活することになっています。
このことも聖書には明確に記載されているのですが、あまり議論の対象になっている様子が見られないのは少し不思議なことです。
現実味がなく、荒唐無稽に感じられるせいかもしれませんね。

復活後は、物質の分子構造のなりたち自体が現在とは異なっているものと思われます。


追記:

そもそも時間というものが本当は無い(人の感覚による錯覚)のですが、これについてはまた別の機会にご説明します。