聖書とユダヤ人

聖書の根本的な教え、復活と永遠の命についての解説

聖書は異邦人のためではない

もともと聖書は異邦人のために書かれてはいません。
聖書はイスラエル、あるいはユダヤ人のために書かれた書物です。
ですから、これを読んだ異邦人が「これは自分に向けて書かれた書物だ」と単純に思うことは、聖書の聖句を解釈するうえで、多くの間違いを犯す可能性があります。

イエスご自身も「わたしはイスラエルの失われた羊以外の者には遣わされていない」(マタイ15章24節)と、きっぱりと言っておられます。

(この聖句について追記しておきます。イエスがこのように言われたのは、異邦人はどうでもいい、という意味ではなく、イエスはあくまで『イスラエルの失われた羊に対する牧者』、つまり神からイエスに与えられた支配権限は「ユダヤ人の王」という限定的な権限だということです。

このように、イエスはユダヤ人の王であるので、他の王国には権限は及ばない、あるいは無関係と考えられます。少なくとも、この発言をイエスが話された生前の時点においてはですが。
そして、その後は聖書をお読みになっている方ならご存知のように、イエスは「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVMユダヤ人の王、ナザレのイエス)」の名称とともに葬られてしまいました。この罪状書きは生前のイエスを表すものです。)

イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。(マタイ27:37)


ユダヤ人の王」ということが、イエスが死刑に値した罪状であるとされたことは興味深いです。不思議な罪名ではないでしょうか?

 

さて、それではなぜキリスト教と聖書とは世界に広まったのでしょうか。
それは、イエスご自身が復活後に弟子に現れ、以下のように語ったからです。

「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。
それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。
見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイ28:18~20)

 

わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。

私達のような異邦人クリスチャンは、イエスのこの言葉にもっと耳を傾けるべきです。
聖書に書かれてあるように、イエスは「ユダヤ人の王」としてお生まれになったので、彼の権威とは、ユダヤ人の統治者であり。王なのでした。

ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 (マタイ2:02)

このように、イエスは「ユダヤ人の王」として生まれ、そして「ユダヤ人の王」として葬られたのだ、ということがわかります。

しかし、復活後のイエスは「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。」と語っているのですから、もはやどんな人であっても、イエスの支配下にあり、イエスはすべてにおける最高主権者ということになるわけです。