聖書とユダヤ人

聖書の根本的な教え、復活と永遠の命についての解説

「学ぶ」ということに二種類あり

学校ではカンニングはいけないと教わるが、実際には
その学校で習うのは、先人の考え方や理論だ。


だから、そもそも「学習」というのはカンニングみたいなものなのだ。
他人の考えや発見を盗んで、それを上手いこと自分のものにしてしまうのが学習だ。
社会でうまく暮らしていくためには、こうした学習は欠かせない。
ただし、聖書を学ぶことについてだけは、この社会一般で通用する方程式は当てはまらない。


聖書を学ぶということは、先人の考えを学ぶことではない。
いわゆる普通に言う「学ぶ」ということと同じ「学ぶ」ではない。


聖書を読む、ということは、自分自身について知ることなのだ。
だから、先人から教えてもらえることは、ごくわずかだ。
聖書を触媒にして自分という者を知ることが、聖書から学ぶ、ということだ。


従って、自分は何者なのか、ということにそもそも興味や関心がないなら、
聖書を読んでも、聖書から学べることは何一つないかもしれない。
ただ、聖書の知識が増していくだけのことだ。
(2011.8.9)