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聖書とユダヤ人

聖書の根本的な教え、復活と永遠の命についての解説

十字架の言葉について その1

僕は、あるクリスチャン(大変立派な方だと思います)が以下のようなことを書いている記事をインターネット上で読みました。


十字架は、人間の知恵ではとうてい理解しがたい奥義ですから、異邦人でもユダヤ人でも完全に説明することはできません。



その方は、その文章の中で、十字架について生贄としての観点から見ています。
しかし十字架の意味が単に生贄なら、別に十字架刑でなくても良いことになります。
旧約の生贄の規定に、十字架という決まりはないのですから。


普通に捕まえて、括りつけて火あぶりにした方が、よほど生贄らしいはずです。
その方は、『十字架は、人間の知恵ではとうてい理解しがたい奥義』と決めつけておられます。


しかし、人間が理解できないのであれば、いったい誰が理解するというのでしょうか?
そこで、僕はこのことについて書かなければいけないと感じました。


「十字架」ということについては、数々の神学的なアプローチがなされてきましたが、聖書自身が「十字架」について証ししています。


★コリント人への第一の手紙 1:18
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、
わたしたち救われる者には神の力です。


この聖句をかみ砕くと、「十字架の言葉」は、滅ぶべき人にとっては
「くだらないもの」「価値のないもの」「馬鹿げたもの」であるが(実際にそうなのです)、
救われるべき者にとっては「神の力」である、となるでしょう。


本来は、神の力であるはずの「十字架の言葉」は、
各々によって、その価値が変わる、ということを聖書は言っています。


では、その肝心な「十字架の言葉」とは、いったい何のことを指しているのでしょうか。
かなり以前の話ですが、僕が「十字架の言葉」の意味について熱心に祈っていたとき、以下の聖句が頭の中に昇ってきました。


★マルコ 12:29〜31
イエスはお答えになった。
「第一の掟は、これである。
イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

第二の掟は、これである。
『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」


続く