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聖書とユダヤ人

聖書の根本的な教え、復活と永遠の命についての解説

石からでも

これは、イエスの親戚でもあるバプテスマのヨハネが言った言葉です。



★マタイ福音書 3:7〜9
ヨハネは、ファリサイ派サドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。
「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。
悔い改めにふさわしい実を結べ。
『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。
言っておくが、神はこんな 石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。



ファリサイ派サドカイ派という人たちは、ユダヤ人なのです。
ユダヤ人というのは、血統的にはアブラハムの子孫であり、
アブラハムという人は、神へ忠誠を尽くした人生をおくった偉大な人物です。


そのため、アブラハムが祖先であるということは、ユダヤ人にとっては大きな誇りです。

しかし、バプテスマのヨハネは彼らに対して、
『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。と言っています。


アブラハムの信仰態度を、お前たちは持っていない。
だから、お前たちに『我々の父はアブラハムだ』などと思う資格などない、という意味のことを言っているわけです。


さて、ここでまた「石」が登場してきました。


言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。


バプテスマのヨハネは、ここで「アブラハムの子」は神は石からでも造り出せると言っています。


ユダヤ人たちの信仰態度ゆえに、『アブラハムの子だと思ってもみるな』という意味のことを言ったうえで、加えて、神は石からでも「アブラハムの子」を造り出せるとヨハネは言っています。


もちろん、石は血統的には「アブラハムの子」であるわけがありません。
血統的に「アブラハムの子」であるのはユダヤ人なのです。


では、バプテスマのヨハネが言っている「石」とは何のことなのでしょうか。