聖書とユダヤ人

聖書の根本的な教え、復活と永遠の命についての解説

執拗に600万人がどうこうと投稿してくるコメントについて

執拗に僕のブログにおかしなコメントを投稿する人がいます。

その人の主張によれば、ホロコーストで600万人のユダヤ人が殺されたというのはでっち上げだと言う内容です。そもそも僕は、そのようなことを一度も話題にしたこともないのにです。


こうしたコメントをしてくる人というのは、いったい何がしたいのでしょうか?

その人は「リチャードコシミズのブログを見ろ」と、今回で二度目のコメント投稿をしてきました。


ご安心ください。僕はリチャードコシミズさんのブログも、たまには見ていますから。

しかし、なぜ600万人という数字の信憑性にそれほど執着するのかが僕にはよくわからないのですが、殺されたユダヤ人の数が600万人でなくて、たとえば、もし本当は100万人だったとしたなら、殺されたり迫害を受けたユダヤ人に同情する必要はなくなるのでしょうか?



特定の人種を憎んだりすることは、良いこととはとても言えないと思います。それは憎む対象がユダヤ人であれ、パレスチナ人であれ同じだと思っています。
殺されたユダヤ人の総数が600万人かどうかは、そもそも一番重要なこととは違うと思います。


そうした数字の信憑性よりも、むしろナチスに同調するクリスチャンが大勢いた、ということの方が僕は大問題だと思っています。

そのように時流に流されやすく、付和雷同的な人が多いことが本当は問題だと思います。
こうしたこと、つまり自分の頭で考えない人が多いことが問題です。


そして、そうした人たちは、何であれ盲目的に安易に信じてしまいやすいのです。
そうしたことが根本の問題なのです。盲信の対象というのは、本当に多種多様です。
対象が、たとえ宗教であっても、世間の風潮であっても、マスコミ報道であっても、主義・主張であっても、自分の頭で考えていない、ということにおいて違いはないわけです。


気づかないうちに、何かに洗脳されてしまっている、ということにおいては、一般人もカルト信者も、実はたいした違いはないと思います。


ある種の『価値観』を、どこかの誰かから提示されて、それを安易に受け入れてしまうことにより、自分自身にとって本当に大切な事柄から目を逸らして生きていくことに陥ってしまうわけです。
自分自身にとって本当に大切なこととは、他人から教えてもらえることではないからです。


社会に迷惑をかける思想にかぶれてしまうと、そのことによりトラブルが発生しますが、たとえ常識的な価値観を受け入れて生きている人であっても、それはたまたま信じる対象が比較的に悪くなかっただけの話。


「自分が生きている」という一番大切な事柄について、自分自身の頭でほとんど考えない、という私たちの日常の態度こそ、本当に改めなければならない。


残念なことに、多くの人がどうでもいいことに熱中し、神から自分に与えられた貴重な時間を無駄に使ってしまう。