聖書とユダヤ人

聖書の根本的な教え、復活と永遠の命についての解説

イエスの十字架刑は、なぜ多くの人の罪を購うのか その8

これまで見てきたように、「イエスの十字架による購い」は、旧約に根ざしたものであることがお分かりいただけたと思います。


旧約では、生贄の羊や山羊と自分は一体であるとし、生贄を殺して罪を購ってもらうのですが、新約では、十字架に架けられたイエスと自分は一体であるとし、この十字架を崇めることにより罪を購ってもらうのです。


この『イエスと自分とが一体』という意識、これを『信仰』と言い換えても良いと思います。


イエスを信じる、というのはこういうことなのであって、ただ口先で「主よ、主よ」と言うこととは違います。


さて、『和解の献げ物』であるイエスは、生贄ですから皆がこれを食し、イエスと一体となる必要がありますが、これがカトリック教会では、ミサという儀式であり、プロテスタント教会では聖餐式と呼ばれているものになります。


このミサとか聖餐式を、単なる儀式として意味のないものと考えるプロテスタントの宗派も一部あるようですが、それは間違いです。なぜなら、以下の聖書の聖句にも書かれてあるように、この儀式はイエスご自身が制定されて、イエスの記念として行うように定められているからです。


■ルカ福音書 22:19
それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」