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聖書とユダヤ人

聖書の根本的な教え、復活と永遠の命についての解説

永遠の命と復活について その11

わたしたちは、体という物質に魂が閉じ込められているような存在です。


たとえば、東京に住んでいる人が、今すぐ大阪の御堂筋を歩きたい、と思っても、それは不可能ですね。

心は、すでに御堂筋に飛んでいても、体はついていくことが出来ません。


あまりわかりやすい例えではないかもしれませんが、このように人の体は物質的な制約の下にいるわけです。


では、イエスの復活後の体は、どのようなものだったでしょうか。
復活直後のイエスに、誰よりも先に遭遇したマグダラのマリアの状況が書かれた箇所です。



ヨハネ福音書 20:11〜18
マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。
一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。
「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。

イエスは言われた。
「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」
マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。
わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。
『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。



この部分を読むと、復活後のイエスを見ていながら、マグダラのマリアは、最初はイエスを園丁だと思ったのです。ここに注目してください。
なぜ、マリアはイエスに会っていながら気がつかない、というようなことが起こったのか。


イエスの容姿は、復活後には別人のようであった、ということなのです。
しかし、マグダラのマリアは、イエスの話し方で、その人がイエスであることをすぐに悟った様子が記されています。



つづく