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聖書とユダヤ人

聖書の根本的な教え、復活と永遠の命についての解説

永遠の命と復活について その2

では、神は、はじめから現在のわたしたちのような肉体を、人にあたえたかったのでしょうか。
そうではなかったようです。


聖書によれば、神は人を造り、人をエデンの園に置かれました。
その時点までの人は、もっと霊的な存在のようでした。
神の足音を聞いたり、神と会話すらできたからです。


アダムが罪を犯した結果、アダムと女はエデンの園を追い出されてしまうことになりますが、
その際に、以下のようなことが起きています。

少し長くなりますが、聖書から引用します。


■創世記 3:17〜24
神はアダムに向かって言われた。
「お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。
お前のゆえに、土は呪われるものとなった。
お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる 野の草を食べようとするお前に。
お前は顔に汗を流してパンを得る 土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」
アダムは女をエバ(命)と名付けた。
彼女がすべて命あるものの母となったからである。
主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
主なる神は言われた。
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。
今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。



アダムと女をエデンの園から追い出す前に、主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた、と書いてあります。

この皮の衣というのは、現在のわたしたちの肉体のことを指していて、未だにわたしたちは、この皮の衣を着たままなのです。

聖書「ローマ人への手紙」の中で、パウロは、このことを非常に嘆いて以下のように書きました。



■ローマ人への手紙 7:24
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。



通常の人間は、この肉体の状態があたり前だと思って生活をしているわけですが、パウロは、なぜこれほどまでに、現在のわたしたちの肉体を嘆いているのでしょうか。

彼は、信仰というもの、愛というもの、それらが現在の肉体を持ったままでは非常に困難であることを身をもって体験していたので、そのことを嘆いていたのです。


先ほどの聖句も含んだ、以下の「ローマ人への手紙」における、パウロの告白をご覧になってください。


■ローマ人への手紙 7:20〜25
もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。
そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。
すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、
わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。


つづく