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聖書とユダヤ人

聖書の根本的な教え、復活と永遠の命についての解説

カトリック教会について

僕はカトリック教会で洗礼を受けました。
現在もカトリック教会に籍を置いています。

カトリック教会よりもプロテスタントの教会が優れていると感じる点も多いのですが、なぜ僕がカトリックに所属しているのかについて書きたいと思いました。


カトリックには、他のプロテスタント教会と比較して、三つの良い点があるからです。
以下に、その三つの良い点を記載します。


1.「ミサ聖祭」を毎日行っていること。

2.「主のいのり」を全員で唱えること。

3.「罪の告白」という制度が残っていること。


これら、三つの良い点は、すべて聖書に基づいています。


1.については、以下のルカ福音書に書かれたイエスの言葉に基づいて、守られています。


■ルカ福音書 22:19
それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。
「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」



イエスご自身が、このように「わたしの記念としてこのように行いなさい。」と言われたので、
この言葉を守り、カトリック教会では毎日、日ごとの供え物として、聖なるパンが献げられるのです。
これが、ミサと呼ばれている儀式です。



2.については、以下のマタイ福音書に書かれたイエスの言葉に基づいて、守られています。


■マタイ福音書 6:9〜13
だから、こう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。
御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』



今では、多くのキリスト教会で、この『主のいのり』が唱えられなくなる傾向にあります。
ですから、イエスの言葉通りに、この祈りを皆で唱えていることは十分に評価できることなのです。



3.については、旧約聖書に書かれた『大贖罪日』についてのレビ記の記述を見てください。


レビ記 16:21
アロンはこの生きている雄山羊の頭に両手を置いて、イスラエルの人々のすべての罪責と背きと罪とを告白し、これらすべてを雄山羊の頭に移し、人に引かせて荒れ野の奥へ追いやる。



つまり、イスラエルの人々は、すべての罪責と背きと罪とをアロンに告白していたわけです。
そして、その民のすべての罪を雄山羊の頭に移す儀式をした後で、その雄山羊を宿営の外である荒れ野に追いやるのです。
このように、旧約の時代においても、罪の告白をすることは、罪のゆるしに必要なことでした。
この儀式を受け継いでいるのが、カトリック教会の『告解(ゆるしの秘蹟)』という儀式です。
アロンの役の代わりは、カトリック教会では司祭が行います。


この『告解(ゆるしの秘蹟)』という儀式が、かろうじて残っている、というだけでもカトリック教会には聖書的にみて価値があるはずです。


カトリック教会の神父には、既に信仰を無くしてしまったり、おかしな思想を抱いている人がとても多いですが、それでも、こうした聖書に書かれている「命令」を、現代でも実際に守り続けているという点においては、評価できるのです。


もっとも、これらの良い点も、いずれは廃止されてしまうかもしれないですが。